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May 02, 2013

[Tour] 夕子の歩いた道を辿る(14) ’13. 5. 2

津母(京都府伊根町)

泊から、北のほうへ向う坂道を登る。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 5)

「…三つ股へ一里半の道は、樽泊の舟着場へゆく二た股道から、北へ岐(わか)れながら登り坂となる…一年前に、夕子が三左衛門につれられて、鼠いろにかすんだ経ヶ岬をうしろに遠ざけながら、京の五番町夕霧楼へゆくといって、二人の妹といっしょに歩いた道である。」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.204)

作品の最後に、夕子の亡骸が、父親に背負われて樽泊の墓地から故郷の三つ股へ帰っていったときの道と、特徴がほぼ一致する。

だが、原作を読む限りでは、三つ股が現実にどこにあるか見当をつけるのは難しい。

「宮津から舟にのって、ずうーっと北の方へいくとつきますねん。半島の端の海べの村で、三つ股いいますねん。」
「あたしは、三つ股の村の三左衛門という木樵(きこり)のお父さんにうまれましたンや。その三つ股の村と樽泊の村は、一里ほどしかはなれてしまへんのやけど…」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.114, 161)

夕子は、夕霧楼で働いていた同僚の敬子に三つ股の場所をこのように説明していた。

地図上で、泊から半径4~6kmの範囲で「三つ股」またはそれに似た地名を見つけることはできなかった。一方、泊から海沿いの道路を北へなぞると、そのあたりには本庄、蒲入という集落がある。

では本庄や蒲入が三つ股かといえば、それにも不自然さを感じる。なぜなら、これらの村落と泊の間には集落が他にもいくつもある。それなのに、幼い夕子が、日常、わざわざこれらの村を越えて6km先の樽泊まで行って正順と遊ぶ必要があったのか、という点からだ。

この謎が解けたのは、水上が、のちに書いた紀行文「丹波・丹後」(河出書房新社)の一節を読んだ時だった。

「津母の村の坂道を下りて海へ出た。村の家は段々になっていて、雨で洗われた道は石ころが出ていて歩きにくかった。…私はこの村に、一人の少女を置いてみたかった。このような淋しい土地にうまれた貧しい少女を、物語の主人公として追ってみたかった。与謝の暗さを一身にひきうけて、生きようともがきながら、結局、暗い運命に蝕まれて死んでゆく女のことを書いてみたいと思った。津母の村は、そのような女を私に夢みさせた。…与謝を去って、東京へ帰る山陰線の車中にあった私は、津母でひろった少女の名を『夕子』にしようと思っていた。汽車の中で名ができた。」
(「丹波・丹後」〔河出書房〕p.96-97)

この文章から、津母が、夕子の生まれた三つ股のモデルと考えられる。しかし五番町夕霧楼の中では、前回ふれたように、夕子が船に乗るくだりで「半島の突端にある経ヶ岬から、蒲入、本庄、野室、津母を経て樽泊へ立ち寄った便船…」と既に津母の存在が挙げられており、三つ股と津母は別ものと捉えてしまう。ゆえに、原作にこだわると、三つ股のモデルは見つけることができないのだ。

坂道を登りきると、眼下に津母の集落が見える。泊のT字路から歩いて15分くらい。家は道路と海岸の間のスペースに寄り添うように建っている。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 5)

2010年の国勢調査によれば、津母の人口は65人・世帯数は31戸とされている。家屋を建てられる場所がもともと限られているようにも見えるので、現在の家の集まり具合から見ると、意外と人口は昔から大きく変わっていないような気もする。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 5)

水上は、津母を訪れたとき、とてつもなく淋しく暗い印象を持ったようだ。しかしこの日は快晴のためか、私はそう感じることはなかった。

だが、この村で水上が強い衝撃を受けた野仏を見つけたときは、思わず足が止まった。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 5)

「…私は、車をとめた。道ばたに奇妙な野仏の一群を見たからである。よく見ると、それは地蔵のようでもあったが、そうでないようでもあった。なぜなら、地蔵菩薩は、だいたい石造で立っているのが普通だった。しかし、ここで見たものは、四角い額ぶちにはまった仏像である。御影石の平面に、一体もしくは二体の仏を刻んだものが、竹置場の隅に、まるで、無造作に捨てられたように、かためられてあった。」
(「丹波・丹後」〔河出書房〕p.90-91)

雨上がりの午後、おそらく今日とは全く比べ物にならないくらいくすんだ色彩の海沿いの村で地蔵像の群れに会ったとき、水上の心の中に、儚い少女の魂が乗り移ったのだろうか。

五番町夕霧楼の作品中には、意外にも、三つ股の集落や夕子の生家に関する描写はほとんどない。水上は、津母で受けたインスピレーションをそのまま19歳の夕子に投影し、作品に昇華させたのである。

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