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May 02, 2013

[Tour] 夕子の歩いた道を辿る(13) ’13. 5. 2

泊(京都府伊根町)

「京都の古い遊廓として栄えた西陣の五番町で、かなり名のとおった夕霧楼の主人である酒前伊作が、疎開先の与謝半島の突端である樽泊で急逝したのは、昭和二十六年の初秋である。」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.5)

五番町夕霧楼の、冒頭のくだりだ。この物語の最初の舞台は、与謝半島の樽泊である。

与謝半島が丹後半島の別名であることは、前回、書いたとおりだ。しかし丹後半島には、「樽泊」という地名は存在しない。そこで、どの辺りにあるのか推理してみる。

「与謝半島の突端」や「遠くに経ヶ岬の燈台のかすんでみえる海が、うす墨を刷いたように灰いろにひらけてみえる…」(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.6)という一節から、樽泊は、丹後半島の北端にある経ヶ岬の近くにあるように思われる。

けれども地図を見ても、経ヶ岬の近くには、これといった集落は存在しない。樽泊は、まったく架空の土地のようにも思われた。だが、あらためて地図と作品を丹念に見比べていったところ、この集落の具体的な位置関係を表した一文が目に留まった。

「樽泊はずいぶん辺鄙なところである。陸路をとると宮津へ出るまでには、一台きりしかない木炭バスで四時間もかかった。昔から成相寺の下に舟着場が設けてあって、海路をとって宮津へ出る便が都合がいい。…半島の突端にある経ヶ岬から、蒲入、本庄、野室、津母を経て樽泊へ立ちよった便船だった。」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.18-19)

夕子が上洛するときに乗った船の経路を説明したものだ。

地図を見て初めてわかったことだけれど、蒲入、本庄、野室、津母は、いずれも丹後半島の東岸に実在する地名だった。そして津母の南方には「泊」という集落が続いていた。

この「泊」こそ、樽泊のモデルだろう。物語の舞台が、リアルな姿となって浮かび上がってきた。

実際は伊根町の一集落であるここへ、どうやって行くことができるか調べた。夕子は、上洛するときには船に乗り、最期、京都市内の病院を抜け出して戻る時には、宮津からバスを利用していた。とりあえず現在は、航路はない。路線バスは、半島の中ほどにある伊根町の中心部から泊を経由して津母まで行く便が、平日のみ一日三本あった。

しかしバスがあるとは言え、少なすぎやしないか。

丹後半島には、半島の付け根に当たる宮津や天橋立から経ヶ岬へ向うバスが走っている。これは観光路線で本数もそれなりにあるはずだし、基本的に海岸線の道を走っているようだから、やはり海の近くにある泊を通らないのはおかしくないだろうか…と思いながら、今度は地図とバス路線図を見比べていく。すると、道路はたしかにほぼ海沿いにあるけれど、経ヶ岬へ行くバスは、泊の辺りでは、やや山寄りのルートをとっているようだった。だが、泊から500mほど山側に入った「六万部」というところには、宮津と経ヶ岬の間を走るバスの一部が1~2時間毎に走っているようだ。先述した伊根から津母へ行くバスは、さらに海側の道を走っているようだった。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 5)

というわけで、夕子が樽泊へ戻った時と同じように、宮津駅で朝一番のバスに乗る。彼女は伊根行きのバスに乗り、伊根町で経ヶ岬行きのバスに乗り換えて樽泊へ行ったけれど、私が乗ったバスは、経ヶ岬まで直行する。車は天橋立や伊根(伊根も、現在は町中心部にある舟屋が観光地として有名らしい)を通り、約1時間で六万部へ着いた。

バスを降り、海のほうへ歩く。10分ほどで泊の集落に入る。海に突き当たって左右に割れるT字路の手前に神社があり、その並びにお寺があった。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 5)

正確には、お寺の跡だ。朝妻山松岩寺という名だったこのお寺は1961年に閉山し、現在は公民館の看板が掲げられている。

「…一だん高い山のはなに、灰いろのそり棟の屋根のみえる浄昌寺の本堂が、常緑樹の梢(こずえ)の合いまに、桃いろの百日紅(さるすべり)の花のかたまりをのぞかせてかすんでみえる。」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.18)

作品に登場する樽泊の浄昌寺は見晴らしのよいところにあったけれど、ここは、海には近いものの、高台にあるわけではなく展望もきかない。

しかし泊には、ここ以外に寺はない。つまり、正順がいた浄昌寺は、ここがモデルということになる。もっとも、もうひとつのモデルである、林養賢が生まれ育った西徳寺は、ここから直線で20km離れた舞鶴市の郊外にある。水上はこの作品で、泊という村落を借りて、見晴らしのよい土地に寺を創り、そこに養賢を模した正順を託したにすぎない。だから、この寺が浄昌寺と似ていなくても、それは、大した問題ではないのかもしれない。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 5)

「伊作の遠縁の者たちにおくられて、樽泊の村を出たかつ枝は、久子に荷物をもたせて、舟着場のある浜まで下りていったが、片桐父娘たちは、早めに桟橋に出て待つことにしておいたので、村を出る時は、人目につかなかった。せめてもの思いやりだった。」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.18)

桟橋は、集落の中心に近いところにある。夕子は、ここから船に乗ったのだろうか。

桟橋の近くは、砂浜になっていた。

夕子が乗った船を、彼女の父親と妹は、浜の上から手を振って見送っていたという。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 5)

その砂浜を見下ろすことのできる高台の土地に、共同墓地があった。山の斜面をわずかに切り開いて造られたと思われる、小さな墓地だった。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 5)

フィクションだと頭の中ではわかっていても、作品の最後のシーンのイメージが強烈にかぶったことは言うまでもない。

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