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April 28, 2013

[Tour] 夕子の歩いた道を辿る(8) ’13. 4.28

東山武田病院(旧・京都専売病院)跡(京都府京都市)

夕子が結核を患って入院した病院は、市内東部の東山五条にある「大和病院」だった。かつ枝が入院する夕子を連れて病室に入った時、彼女にこう語りかけている。

「夕ちゃん、ええ部屋やなァ…うちもこんなとこで、一日ごろんと寝てみたいわ。ほら、みなはれ、東山から、大文字から、比叡山から、北山までまる見えやおへんか」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.156-157)

病室は三階だった。夕子は、のちにこの部屋で鳳閣寺(金閣寺)の燃える様子を遠目に見ることになる。

東山五条から金閣寺までは、結構距離がある。直線で、およそ7km。三階程度の高さの部屋で、それほど眺望がきくのだろうか。読んだ時に、まず引っかかった点だった。

五番町から東山五条へ向う。市バスを乗り継いで、30分以上かかった。ここでさらに気になったのは、なんでわざわざ東山五条の病院を選んだかということだ。同じ市内でも、もっと近くに、いくらでも病院はあるのではないだろうか。

東山五条から五条通を少し入ったところに歩道橋があった。民家であれば二~三階くらいの高さはありそうだ。階段を上って、金閣寺の方角を見る。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

現在、京都市内の建築物には高さ規制がある。それでも、三階くらいの高さでは、遠くを見渡すことは難しいことがわかる。当時は今ほど高い建物がなかったであろうことを差し引いて考えても、山はともかくとして金閣寺は見えただろうかというと、なんとも微妙な感じがする。

それでは、夕子はなぜ、あえてこの街で入院したのかあらためて考えてみる。ここと金閣寺を直線で結ぶと、おおよそ、その中間に五番町がある。なんとなく地理的に収まりがよい。だから、この東山五条にしたのではないかという気がした。もっとも、百歩譲って金閣寺は見えたとしても、五番町の夕霧楼を見極めることは不可能だったと思う。

この病院にも、モデルはあったのだろうか。

「大和病院は、東山通りの五条を下った右側にある。昔の、豊国廟といわれた、太閤秀吉を祀る神社のつづきになっていた」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.156)

豊臣秀吉を祀った豊国神社という神社は、京都市東山区に実在する。そしてこの神社から東へ進み、東山通を渡ったところに大きい病院があることが、地図で確認できた。東山通を五条から下っていくと左手に当たるのが、ちょっと違っているけれど。

この病院は、東山武田病院という。その前は京都専売病院という名前だった。この名を聞いてピンとくる人もいるかもしれない。昭和の時代にたばこや塩を扱っていた日本専売公社があった頃にできた病院である。京都専売病院は2005年に事業が承継されて東山武田病院になった。しかしながら、地図に名前は残っているものの、実際には、2011年に東山武田病院は閉院してしまっていた。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

現在、そこではホテルの建設が行なわれている。「病院の跡地にホテルを建てる」と聞くと霊感の強い人などは気にするかもしれないけれど、構わず、工事は進んでいるようだった。

この病院が、夕子が入院した大和病院のモデルと考えてほぼ間違いないだろう。

しかし、そう思って夕子が入院していた頃の病院の様子を調べようとして、またもや唸ってしまった。

京都専売病院がこの場所で開業したのは1956年とされている。それまで、ここは隣接する妙法寺というお寺さんの土地だった。しかし、夕子が入院したのは1952年。まだ病院はできていなかったのだ。東山武田病院のホームページによれば「1948年に旧京都専売病院は日本たばこ産業株式会社の社員とそのご家族の福利厚生施設として開設された」とあるので、もしかすると近所から移転してきたのかもしれないけれど、移転前にあった場所までは特定できなかった。夕子の病院探しは、また振り出しに戻るのか。

再度、この近くで病院があったかどうか探してみた。東山武田病院跡地から見て東山通をはさんだ反対側にある古びた灰色の建物が、いかにも病院くさい感じがして気になったのだけれど、後で調べたところ、これは病院ではなくて、東山区役所の旧庁舎なのだそうだ(↓)。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

結局、他に病院を見つけることはできなかった。もっとも、五番町夕霧楼が発表されたのは1962年のことである。水上が執筆したときには、京都専売病院はおそらくこの場所で既に開業していたことだろう。病院の名前も架空だし、その辺の時代考証は適当にやっていたのではなかったのかと、作者には失礼な気はするけれど、ここはひとつ、そう強引に結論づけたい。

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