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April 28, 2013

[Tour] 夕子の歩いた道を辿る(7) ’13. 4.28

五番町(3)(京都府京都市)

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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

下衆の勘繰りと思われる方もいるだろうが、当時の五番町での遊び代について具体的に考えてみる。

「片桐夕子は、意外な値段である二万円で、当時では、若いサラリーマンの五月分の給料に相当する金額で、軀を甚造に売ることになった」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.51)

夕子が夕霧楼で初めて客をとった、水揚げのときの金額である。給料との比較は、とりあえずわかりやすい。検証したところ、1951年4月の国家公務員行政職の六級職(大学卒程度)の初任給は5,500円だった。厳密に判断すれば二万円は給料4ヶ月分くらいと捉えるのが妥当か。ただし4月に改定される前は4,223円であり、一気に30%以上増えていた。インフレの時期だったのだ。現在の若手サラリーマンの給料を20万円とすると、5ヶ月分は100万円になる。実際、当時の帯問屋はそれほど羽振りが良い商売だったのだろうか。

一方、夕霧楼の通常価格はいくらだったのかという点について書かれた箇所はほとんどない。

「お新が、あの妓は新入りで水揚げがすんだばかりだから、時間の花でも、三百円はもらわねばならないというと…」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.78)

正順が初めて夕霧楼に来たときに、ひき手婆のお新が正順に話した場面だ。しかしこれは、通常価格というより、正順の風貌を見て、彼女が多少ふっかけた値段ととれるだろう。ちなみにこれを若手サラリーマン給料理論で換算すると、1.5万円になる。

金閣炎上では、養賢が実際に入った泉楼で使った金額が書かれている。

「…遊興費は三百七十五円だった。養賢は上着のポケットから紙幣を四枚だして、それを机の上におき、『つ、つ、釣り銭はいらん』といって廊下へ出た」
(「金閣炎上」〔新潮文庫〕p.222)

400円を同様に換算すると、2万円。夕霧楼よりやや高めの値段だ。だが、大学生でも気張ればたまには行くことができる程度であることも何となく理解できる。

しかし、養賢が三日連続で五番町に行った時の原資は、その直前に父の遺品を含むコートなどの衣類を売った金であるとされている。五番町夕霧楼では、正順が払うべき花代を夕子がときどき負担していたことに対し、身の回りの品を売って金を工面した養賢の心を思うと、その目的が遊廓のためとは断定できない(個人的には、身辺整理の要素が強かったように思う)ものの、また気が重くなる。

作者の水上の意にはそぐわないのかもしれないけれども、私には、フィクションの中の正順が見た五番町と、実在した養賢の目に入ったこの町の光景は、全く違って映っていたように感じられる。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

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