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April 27, 2013

[Tour] 夕子の歩いた道を辿る(4) ’13. 4.27

五番町(1)(京都府京都市)

「五番町は、京都人には『ゴバンチョ』と少し早口でよばれる語調をもった、古い色街である。詳述しておくと、西陣京極のある千本中立売から、西へ約一丁ばかり市電通りを北野天神に向かって入った地点から南へ下る、三間幅しかない通りである。この通りは丸太町まで千本と並行してのびているが、南北に通じるこの通りを中心として、東西に入りこむ通りを含めて、凡そ二百軒からなる家々は軒並み妓楼だった」
(「五番町夕霧楼」〔新潮文庫〕p.21)

市電が無くなった今も「市電通り」と呼ばれる中立売通。西陣京極から来て、この文章のように道を曲がるとすぐ、右手に、お寺の白い土塀が目に入る。報土寺というお寺さんで、周辺の廓で亡くなった遊女の遺体を引き取り弔ってきたといわれている。この反対側に遊廓が並んでいて、ここから五番町の街が始まっていた。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

五番町の、花街としての歴史は江戸時代初期にさかのぼる。しかし昭和に入ってからここは娼妓ばかりの町となり、「職人が通う花街」「下級花街」のイメージを持たれていたという。

五番町夕霧楼の元ネタのひとつである金閣寺放火事件の犯人・林養賢は、犯行の二週間前、五番町に少なくとも三日連続で来ていたようだった。当時、養賢は21歳だった。五番町夕霧楼の正順も、同じ年齢の設定だ。旧制中学を卒業する年の一月にこの町で童貞を捨てたという水上が足を運んでいたのも、彼らに近い年頃だったと思われる。私の学生時代には、花街なんて、はるか彼方にそびえ立つ敷居の上の存在だった。それに比べると、大学生だった養賢や水上が来ることができた五番町は、やはり、現在に残る花街とは相当に性質の違う存在だったのだろう。

養賢が遊廓に来たときの様子は、この作品のあとに水上が書いた「金閣炎上」に、彼と、ふた晩会った娼妓・輝子の言葉として記されている。

「『わ、わ、わしは、昨日、あんたに童貞やというたけど、あれは嘘や。十七日に、ほかの店へあがっとった。けどあそぶことはあそんだけど、ちゃんと床はつけへなんだ…せやさかい、半童貞やった』養賢は、それを云いにきたかったというふうに、わらったのだった。そして立ち上がると、大急ぎで廊下へ出た。…輝子はあとを追ったが、三和土には三、四人のぞめき客がいた。そのうしろへ廻ってかくれるように去る養賢は、輝子の方をふりむかなかった。」
(「金閣炎上」〔新潮文庫〕p.224)

1950年6月17日、五番町の、別の店で「ちゃんと床はつけへなんだ」養賢は、翌日、輝子と初めて関係を持てたものの、19日に来たときには、寝ることもなく、花代を彼女に渡すと、こう言い残して店を出ていったという。そして7月2日の未明、金閣寺に火を放つ。

養賢は、正順のようにここに知り合いがいたとか、水上のように何度もこの町を訪れていたとかいうわけではなかったようだ。むしろ、やらかす前の、心の整理の一環として、当てもなく、しかし気合を入れて、五番町に来たのではないかと感じる。小説から離れてリアルに思いをめぐらすと、気持ちが重くなる。

五番町の遊廓は、売春防止法が施行された1958年に廃業した。

花街でなくなった後の、五番町の店の多くは、そのポリシーを引き継がなかった。この街は風俗街にも歓楽街にもならなかった。遊廓だった建物は、取り壊されたものもあれば、安い賃料で学生や外国人に部屋を貸していたところもあった。もっとも、それもおそらくはせいぜい私が住んでいた頃くらいまでで、今ではほとんどが建て替えられて、一見、普通の住宅地になっている。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

現在、町の中心には「千本日活」という年季の入った成人映画館がある。もともとこの場所には五番町遊廓の組合事務所があった。売春防止法の施行とほぼ同じ時期に「五番街東宝」という名前で開場し、のちに千本日活と改名した。ここに映画館を開いた人は、遊廓が無くなった後の五番町を新しい娯楽の町にしようという思いがあったのかもしれない。売春防止法が施行されたのは1958年。日活がロマンポルノを始めたのは1971年。両者が連続していたわけではなかった。そもそも遊廓と成人映画は、ベクトルは近いかもしれないけれど値がまったく異なる。


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Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

輝子がいた店があった場所に行ってみると、屋号を少し変えた、まったく別の商売をする店があった。建物の一部は、おそらく昔のままの、くすんだ木造だった。

そこから歩いて5分程度の場所にある、25年前に私が住んでいた建物は、すっかりきれいに建て替えられていたけれども、マンションの名前は、昔は漢字だったのをローマ字に変えただけで、面影を残していた。おそらくは、経営者の屋号に対する愛着やこだわりからだろう。

町の外観は変わっても、歴史は静かに続いている。

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