« [Tour] 夕子の歩いた道を辿る(10) ’13. 4.28 | Main | [Tour] 夕子の歩いた道を辿る(12) ’13. 5. 1 »

April 28, 2013

[Tour] 夕子の歩いた道を辿る(11) ’13. 4.28

保津峡(京都府亀岡市)

五番町夕霧楼の終盤では、登場人物が次々に亡くなっていく。鳳閣寺が火災にあったのを知って故郷から見舞いのため上洛した正順の母親・シゲが、息子が犯人だったことを聞いて、帰りの山陰本線の列車から身を投げる。三週間後には、正順が留置場で自殺。それを知った夕子も、故郷・樽泊の墓地で命を絶つ。

シゲの死は、金閣寺放火事件の犯人・養賢の母である志満子が死んだ過程と、ほぼ軌を一にする。

「林志満子は、七月二日の午すぎ、大江山麓尾藤部落の実家を訪れた福知山署員から、金閣焼亡のことと、息子養賢の行方不明を告げられて動顚(どうてん)した。西陣署の連絡をうけた福知山署が、尾藤へ養賢が帰っていないかを探りにきたのである。もちろん養賢はいなかった。志満子は弟の勝之助を伴い、福知山署員と京都へ急行した。京都に着いてから、志満子は養賢の逮捕を知った」
(「金閣炎上」〔新潮文庫〕p.247-248)

彼女は警察で養賢との面会を試みた。だが、養賢から拒否された。失望した彼女は「子の罪を身をもって償いたい」と漏らし、帰りの列車から飛び降りた。

「新聞によると、林志満子は三日の午後四時四十五分京都発城崎行八三一号列車に花園駅から乗った。…汽車が保津峡駅をすぎ、馬堀駅にさしかかる手前に鉄橋がある。下は深い渓だ。志満子はとつぜん下駄をぬいで、デッキの端へ走り、勝之助が眼を放したすきに身を投げたのだ。デッキに扉はなかった」
(「金閣炎上」〔新潮文庫〕p.17)

当時の山陰本線は窓も扉も開閉自在の客車列車だったため、走行中に飛び降りることは容易だった。

現在、この区間の線路は、そのときと別のルートに付け替えられている。けれども、古い線路は保津峡の渓谷沿いの、景色がよいところを走っていたため、廃線にはならずに観光用のトロッコ列車が走るようになった。

そのトロッコに乗ってみた。


13042817hozukyou
Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

鉄橋は、列車の終点(現在は「トロッコ亀岡駅」という名前になっている)に着く直前にあった。ここなら列車も速度を落とし始めているし、狙いをつけて川に飛び込むのも比較的簡単だろう…でも川は深くないな…などと、観光客で賑わう車内で、自殺した母親の気持ちをいろいろ思い量る。


13042818bridge
Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

折り返しの列車を撮ったあと、後ろを振り返ると、なぜか大量のこいのぼりが夕陽にはためいていた。そういえば、もうすぐ子供の日だ。しかし、息子に思いを馳せて身を投げた彼女の気持ちを思うと、鯉のぼりとは対照的に気は沈んだのだった。


13042819koinobori
Kyoto, SONY Cyber-shot DSC-RX100 (2013. 4)

|

« [Tour] 夕子の歩いた道を辿る(10) ’13. 4.28 | Main | [Tour] 夕子の歩いた道を辿る(12) ’13. 5. 1 »

■Journey」カテゴリの記事

#Japan」カテゴリの記事

#夕子の歩いた道」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« [Tour] 夕子の歩いた道を辿る(10) ’13. 4.28 | Main | [Tour] 夕子の歩いた道を辿る(12) ’13. 5. 1 »