June 13, 2019

北大塚・千代田湯

19061201sugamoshindenstnTokyo, SONY α6000 with SONY Vario-Tessar T* E 16-70mm F4 ZA (2018. 8)

都電荒川線の巣鴨新田駅は、高校に隣接しているにも関わらず駅前には飲み屋とタバコ屋しかない。

ホーム脇の踏切で交わる細い道を歩き続けると、やがて急な坂になる。煤けたアパートや民家を横目に見ながら登りつめたところに、三軒の古い店がある。食堂と、よろず屋と、銭湯。店はその三軒だけなので「商店街」というほどではないけれど、考えてみると、この三つの店と銭湯に併設されたコインランドリーの存在によって、あとは屋根さえあれば日々の生活が持続可能だ。

食堂はメニューの種類が非常に多い典型的な大衆食堂で、味も価格も至って普通。しかしテレビ番組の「モヤモヤさまぁ~ず2」が池袋に来たときになぜかここで昼食をとったため、店の中に、さまぁ~ずご一行様のサインが誇らしげに飾られている。

よろず屋は外から見ると主に食料品を置いているようだけど、サクラカラー(死語)の看板が掲げられているのでフィルムや同時プリントなども扱っているかもしれない。開け放たれた店先では、いつも、婆さんが店番をしている。だが、客を見たことはない。私も店の中に入ったことは一度もない。

 

19061202masutami2Tokyo, SONY α6000 with SONY E18-55mm F3.5-5.6 (2014. 3)

ここの店頭に一時期、段ボール箱がひとつ置かれていたことがあった。箱の蓋に「¥238」となぐり書きされていた。なぜ238円なのかしばらく考えて、これを外税として消費税率をかけると、切りよく¥250になるからではないかと想像した。税率が5%だった頃だった。

段ボール箱には、切り餅のパックが入っていた。切り餅は売れないようで、長い間箱の中に入っていた。やがて正月になり、ついに餅の季節が来たかと思い年明けに店の前を通りかかると、箱の中に餅はなく、代わりにパイナップルがひとつ転がっていた。そのとき私は、パイナップルが税抜き¥238で買えることを知った。

店の前には缶ジュースの自動販売機が置かれていて、私もときどきそこでは買うことがある。しかしこの中の商品もまた一癖あって、逆輸入のコカコーラを¥80で売っていたり、賞味期限切れのペットボトルを¥70で売っていたりしていた。

 

19061203masutami1Tokyo, CASIO EXLIM ZOOM EX-Z200 (2008. 7)

あるとき、ウーロン茶のボタンの前に「メロンクリームソーダ」と書かれた紙切れが挟まっていたことがあった。興味本位にそのボタンを押したら、ウーロン茶が出てきた。

それら個性的な店と共にあるのが、今回紹介する千代田湯だ。

 

19061204chiyodayuTokyo, SONY α6000 with SONY Vario-Tessar T* E 16-70mm F4 ZA (2019. 6)

この宮造りの銭湯が開業したのは、戦後まもない頃らしい。豊島区にあるのに「千代田湯」というのは、経営者の老夫婦のダンナのほうが、ここを開業する前に千代田生命保険(現在のジブラルタ生命保険)に勤めていたからだという、本当だか冗談だかわからない話を聞いたことがある。冗談だとしたらあまり面白くないので、本当の話のような気がする。

千代田湯は都内の銭湯では珍しく、薪で湯を沸かしている。住宅地では煙の問題がありそうなものだけど、建屋の横には常に廃材が積まれており、ダンナが火にくべている。千代田湯に向かう途中で煙の匂いを感じられたときは、いつも気分がよい。湯は熱めで、浴槽の水温計はいつも46度を指している。だが本当に46度だったら入れるわけがないので、実際は43度か、せいぜい44度くらいだといわれる。

内装は木造で、それだけでレトロな雰囲気を醸している。脱衣所にはアナログの体重計が置かれ、壁に掲げられた料金表は「昭和…年現在」と書かれた脇に現在の料金を貼った紙が貼られている。料金表の横には、私がここに初めて来たときから十年以上ずっと停まったままの柱時計が掛けられており、それは、この空間の時間が変化していないことを示唆しているようにも見える。

浴室の壁には、富士山の絵が描かれていた。普段銭湯に行かない人は、銭湯には富士山の絵が当たり前のようにあると思っているかもしれないけれど、現実には、今の銭湯では建物の新古を問わず富士山の絵が描かれているところは多くないと思う。少なくともこの近辺に5~6軒ある銭湯の中では、千代田湯が唯一だった。しかし何年か前、唐突に絵が描きかえられていた。雪の山脈をバックに走る電車の絵だ。見覚えがある景色だった。立山連峰と新幹線だ。なんでまたこの絵になったかといえば、ここの経営者が富山県出身だからという理由らしかった。北陸新幹線が開通した頃だった。

富士山の絵も希少だったけれど北陸新幹線の絵はもっと希少だったので、年季の入った見た目と共に、千代田湯はユニークかつレトロ銭湯として紹介される機会がほんの少しばかり増えた。

 

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これは『コミックフラッパー』に連載中の漫画「北陸とらいあんぐる」の一節。「ももいろクローバーZ」が出演したテレビドラマにも使われたことがあった。

しかし安泰な時期は長く続かなかった。数年前、よろず屋が突然閉店した。そして内部を大改装し、なぜかシェアハウスになった。すりガラスの窓から、ベトナム語が透けて見えた。外国人を相手に部屋を貸しているようだった。

モヤモヤさまぁ~ずが来た食堂も「店主体調不良のため休業します」と張り紙がされたまま店をたたんでしまった。

 

19061212restaurantTokyo, SONY α6000 with SONY Vario-Tessar T* E 16-70mm F4 ZA (2018. 8)

もともと地味な界隈ではあったけれど、店が減ったことで活気を失ない、より殺風景になってしまった感があった。ある日千代田湯へ向かう途中の坂で、泣きそうな顔をしたベトナム人の若い女の子から道を聞かれたことがあった。彼女のスマホに映るGoogle Mapを見ながら、異国のこんな所で道に迷ったら泣きたくもなるよな、と同情した。

 

19061211otukainthenightTokyo, SONY α6000 with SONY Vario-Tessar T* E 16-70mm F4 ZA (2018. 8)

千代田湯は取り残されたように見えた。ここも長くはないだろうと率直に感じた。経営者夫婦も決して若くは見えないし、彼らに子供がいるかどうか知らないけれど、後継者になりそうな人は見たことがなかった。

千代田湯廃業の告知が脱衣所に貼られているのを見たのは、5月の終わりごろだった。営業は6月12日までと書かれていた。

廃業は覚悟していたことではあったけれど、最後にやっておきたいことがあった。千代田湯の、中の写真を撮らせてもらうことだ。恐るおそる番台の女将に尋ねると「他にお客さんがいないときであればよい」という返事をいただいた。廃業の告知は脱衣所内にあるだけで店外にはなかったので、幸い、最終日が近くなっても一見客の数が大きく増えることはなかった。数日後、21時過ぎ、男湯に他の客がいなくなったのを見計らって、女将に一言断りを入れてから写真を撮らせていただいた。

 

19061205bathroom19061206kerorin19061207notice19061208healthmeterTokyo, SONY α6000 with SONY Vario-Tessar T* E 16-70mm F4 ZA (2019. 6)

千代田湯が廃業したあと、併設されていたコインランドリーも休業した。やがて建物もなくなり、周囲の住宅地に同化するだろう。

それはもちろん残念なことだけど、千代田湯とその周辺一帯の最後の姿を知ることができたのは幸運だった。


19061210oshiraseTokyo, SONY α6000 with SONY Vario-Tessar T* E 16-70mm F4 ZA (2019. 6)

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